更新時間:2021-12-11 04:26:19作者:admin2
桜の咲きにつれを連れて、卒業生への想いを踏んて春の足音は、新たな希望と目標のために、私たちはまた1つの新しい學期に本格的になってから、知的な人生にもう一つの道を開いた。
私はあなたと過去がいいか悪いかは、これが新しい始まりであろう。ある法哲學者はでは、かつては他人を未來の自分に屬する。あなたの過去の栄光にしろ、失敗しても、ほぼ全ての分野が昨日、殘したのは教訓と経験だった。新しい學期が始まり、自分に挑戦し続けなければならない」と、自分の足りないところを、運動をひとつ真新しい自身だった。
梅の花の香りは、厳しい寒さで、成功の花は用の汗を流しながら抵抗されました。勉強ものように、必ず、収獲を払ったのだ。同級生、把握の時間になると、新しい學期のように一緒に頑張りましょう。
私の家族
私は、とても親と仲が良いです。
どうして、ここまで親に身構えずに話せるのだろうと、我ながら不思議になるくらい會話がよくはずみます。
理由は色々あるだろうけれど、きっと一つの大きな要素は「音楽」だと思います。
うちでは、何らかの形で家族全員が音楽に関わっています。
父は音楽の教師をしているし、母はアマチュアの弦楽合奏団で周一回活動しています。私はチェロ、妹はバイオリンを習っています。
家族みんなで演奏會に行くこともあります。そんなとき、「家族で一つのことを楽しめるっていいなあ。」と思います。
そして、みんなそれぞれ音楽が大好きです。
うちでは會話をはずませる方法として、日曜日の朝などにちょっとテレビを消して、CDをかけます。それから、學校でおもしろかったことや昨日のテレビのことなどを話します。この前、妹が
「私、宿題系なんだけど、提出してくれない人がおるんよー。」と困っていたので、みんなで「先生に相談するとか、その子がちゃんと連絡ノート書いてるか確認したら。」と言うと、妹はさっそく試したようで、友達は宿題を出してくれるようになったそうです。
こんな風に一緒に考えて、アドバイスをくれる家族がいるって、すてきだな、と時々思います。
前に、學校で「お父さん帰るの遅いし、特に話すこともないんだよねー。」と、言っている友達がいました。
私は最初「話題なんてそこら辺りに転がっているんじゃないのかなあ。」という考えでしたが、その友達の少しさみしそうな「別にお父さんのこと大嫌いなわけじゃないんだけどね。」という言葉を聞いて、そうでないことに気付きました。
私の家族があんなに楽しいのは、共通の話題や音楽のおかげだけではない、みんながそれぞれにお互いのことをもっとよく知りたいと、しゃべるのを楽しみにしているからこそ、あんなに素晴らしい言葉の、心のキャッチボールができるんだな、という思いに達したのです。
きっとあの友達は、お父さんとの會話を「していない」のではなく、「しようとしていない」「できない」のではないでしょうか。話をしないから相手のことをよく知らない、よく知らないから話ができないという悪循環に陥っているのかもしれません。
最近、未成年の起こした悲しい事件を、私たちはよく耳にします。そんなとき、VTRに出てくる大人たちは、「まじめないい子だと思っていた。」とか、「亂暴で手がつけられない子。」と、『犯人の人物像』を語ります。
では、その子は、本當に周りの言う通りの子なのでしょうか。
確かに、今は昔と比べて近所付き合いや地域の結びつきが少なくなり、うわさなどでその人のイメージを決定してしまうことも増えてきたのかもしれません。私も、とりあえずあいさつはするけど名前を知らなかったり、家同士近いのに一度も話したことがない人がいたりします。そんな人たちが、私に萬が一なにかあった時好き勝手にしゃべっていたら、たまったもんじゃないと思います。
もし子供が大人に助けを求めたくても、大人が一方的に「その子」を位置付けし、會話しているつもりになっていたら、歯車はずれてしまうのではないでしょうか。
大切なのは、子供が貯め込んだものを吐き出せるような、また、その子がなにに不満をもち、なにが好きなのか知ることのできるような「會話」に盡きると私は思っています。
友達とも、先生とも、近所の人とも、生まれてから一番長い時間を共に過ごしてきた家族とも、楽しい話も悲しい話もどんどんして、たまにケンカしながらでも、もっともっと相手を知ることで、家庭も、學校も、社會も明るくなりそうな気がします。
とりあえず會話を楽しむこと、これが最初の一歩です。